権利、義務、批判、自由の持つ意味を考える。

 10月24日の新聞報道において、橋下大阪市長の出自を題材にした、週刊朝日の連載打ち切りに関して、橋下氏とメディアの関係に問題はないのか。との内容の記事がありました。

 この記事の中で上智大学の田島泰教授(メディア法)は、橋下氏の取材拒否を問題視する。として次のように論じています。

 「政治家は、市民の知る権利にこたえる義務がある。都合の悪いメディアを締め出せば、やがて会見を一切しないということにつながりかねない。メディア全体で取材拒否を批判すべきだった」

 在阪メディアには既に、逆襲を恐れて橋下氏を批判しにくい雰囲気があるように感じるという。「自由にものを言いにくい方向になっているようで、違和感を覚える」

 以上は10月24日神戸新聞から抜粋。

 この記事から私は、「権利、義務、批判、自由」の言葉の持つ意味を考えてみました。

 「政治家は、市民の知る権利にこたえる義務がある」とありますが。当然、政治家は選挙により市民に選ばれて、代表として政治を託されるのですから、政治の方向性、政策等に関する自らの考えを示す義務があると考えられます。

 しかし、出自などは本人の考えや行動で如何に努力しようともできない部分であり、そこに市民の知る権利はあてはまらない。政治家もこたえる義務もなく、ましてや暴き立てようとするものを阻止することは権利である。

 義務を果たしての権利であるとすれば。市民の知る権利の対象の義務は政治家の個人の尊厳を犯さないことではないでしょうか。

 「逆襲を恐れて橋下氏を批判しにくい」とありますが。批判とは、「人の行動、仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきと論じること」であり。今回の週刊誌の記事は批判ではなく、個人を無視した、文書による一方的な暴力だと私は考えます。

 橋下氏は批判については、公開の場で議論をしています。ましてや考えが異なるものを一方的に排除したことはないと認識しています。


 「自由にもの言いにくい方向になっている」とありますが。「自由」とは仏教用語の「自らに由る」からが言葉の意味であるとしたら、「自由にもの言う」ということは、自らの言葉に責任を持つと解釈できます。

 だとしたら、取材拒否を撤回した橋下氏が求めている、掲載経緯の説明にこたえることが、自由の本質であり、メディアの義務ではないでしょうか。

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